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mizumaru primal

Vol.01

水丸とは?

「何これ!」「水?」「ぷにぷに」「気持ちぃ!」
「ねぇ、これなんなの?」

一言でうまく答えられません。

触ってもらうまでは、その気持ちよさや、
全く新しい水の感覚もうまく伝えられません。

でも、確かに僕らは「真」を伝えることができた、
と手応えがありました。

できることなら実際に触ってもらって、
自分の中の水丸を確かめてほしい。

実際に触ってもらうまではうまく捉えきれないから、
そして僕らが確かめている水丸もまた一部でしかないから、

この捉えきれない真に迫るために、小さな真の集合体でもって
水丸の正体をあぶり出してやろうじゃないか、という企画
がスタートしました。

mizumaru primal , つまり水丸の原始を探る旅が始まります。

primal coffee
sketch by Yuki Yamada

このプロジェクトは「東京画」の一環として行っています。
写真家でない僕らを「水丸には真がある。写真の使命は真を写す
ことだから、方法は問わないわ。」と東京画への参加に尽力してくれた
太田菜穂子さんに感謝いたします。

2016.05.23
ちゃぷ山田祐基

東京画
水丸.com
Vol.02

森善之 → 水丸

Mizumaru
Yoshiyuki Mori's photo Yoshiyuki Mori's photo Yoshiyuki Mori's photo Yoshiyuki Mori's photo Yoshiyuki Mori's photo Yoshiyuki Mori's photo Yoshiyuki Mori's photo Yoshiyuki Mori's photo
「水のすみか」森善之
Vol.03

田丸雅智 ← 水丸

Mizumaru
Masatomo Tamaru's photo

 上野公園を歩いていたときのことだった。
蝉時雨にまじって、どこからかガラスのぶつかる、きれいな音が聞こえてきた。
「ミズマルはいかがですかぁ、水の子ども、水丸はいかがですかぁ」
その威勢のいい声に振り向くと、逞しい体つきの若者二人がそこにいた。肩には青竹を担いでいて、そこから盥がぶら下がっている。淡い水色の一升瓶が2つ、腰のあたりで揺れていた。
彼らは人の多い場所で足をとめ、担いだものを地面に下ろすと、もう一度大きく声を張りあげた。
「水の子どもはいかがですかぁ」
なんだなんだと引き寄せられる人の流れに乗って、ぼくも自然とそちらのほうに引き寄せられる。集まる人のあいだから顔をのぞかせると、白い布が敷かれた盥のなかに、水がとぷとぷと波打っているのが目に入った。
「コレ、なんですか」
 自分の番が回ってくると、ぼくは彼らの一人に尋ねてみた。
「水の子どもです!」
 元気のいい声が返ってくる。ぼくが盥の中に目をやると、そこには見慣れた水があるのみで、それ以外は何も入っていなかった。
「でも、何もないみたいですけど……」
 ぼくは遠慮がちに口にする。
 すると若者は、
「ちゃんとあるんです」
 にっこり微笑み、
「ほら、こうして」
そう言って盥の中に手を入れた。
と、次の瞬間、ぼくは目を見開いた。何もなかったはずの水の中から、彼は透明な何かを取りだしたのだった。
「これが水の子どもです。丸いでしょう? だから、水丸という名前をつけました」
 若者は目を輝かせている。彼はそれをそっと水の中へと戻してやると、今度はぼくに、触ってみてはと促した。途端に好奇心が湧きあがる。
 ぼくは改めて盥の中をのぞきこんでみた。いま目にしたものはおろか、チリひとつない透き通った水があるだけだ。
 そっと、水のなかに手を入れてみた。ひんやりしていて気持ちがいい。と思った刹那、柔らかいものが手に触れた。
ぼくは恐る恐るそれを両手で包みこむと、水の中から取りだしてみた。目の前に、丸くて透明なものが現れる。それは、手のひらの中でぷるぷる揺れた。信じられないことに、本当に生きて動いているのだった。驚いて若者のほうに目をやると、うれしそうに笑っている。
不思議な感触だった。単に手に持っている分には柔らかい水風船のようなのに、少し力を入れると指は表面から中――水丸という生物の中へと入っていく。こんなものは見たことも聞いたこともなかった。
 そのとき、ぼくは水丸の表面に傷跡のようなものを見つけた。
「これは……」
「ヘソです、水丸の」
 指で突っつくと、こそばそうにまた揺れた。
「本当に、水の子どもなんですねぇ……」
 ぼくは何だか、神聖な気持ちを覚えていた。
「こいつを、ください」
 思わず、そう口にした。
「大事にしてやってくださいね!」
 若者は、さわやかな笑顔で力強く言った。握手をした手は、ひんやり気持ちよかった。

 ぼくは、家に帰るとさっそく水丸を洗面器の中に移してやった。水の中に入れると溶けるように見えなくなって、時おり光の角度によって輪郭がうっすら確認できる程度だった。放っておくと消えてしまいそうな儚い存在に、いっそう愛おしさを覚えた。
 ぼくは、暇をみては水丸との遊びに夢中になった。
 はじめのうちは水に手をいれて水丸を探りあて、そっと撫でてあげる程度だった。でも、慣れてくると水丸はだんだんぼくの手に絡みつき、自分からじゃれついてくるようになっていった。そうなると、愛着はますます強くなっていく。
水丸は、瓶の中を好んだ。空の一升瓶を近づけると、柔らかく形を変えながら、するりと瓶に入っていく。そうして中でぐるぐる渦を巻き、長いときには一日中、そうやって遊んでいるのだった。
水丸はどんどん成長していき、やがて洗面器では収まりきらなくなってきた。そこでぼくは風呂に水を張り、住処をそちらに移してやった。自由に動き回れないのを不憫に思い、ときどき小学校のプールに忍びこみ、自由に泳がせてやったりもした。
 そのうちぼくは、水丸に芸を教えてみようと思いついた。自在に形を変えられる。そこに着目してのことだった。
 ぼくは水丸に、思いつきでネコの映像を何度も何度も見せてやった。すると期待通り、しばらくすると水丸はすっかり形を覚えてしまい、ネコの姿で水の中から出てきては家の中を歩き回るようになった。おもしろいことに、形を似せるだけでなく、本物のネコみたいに色まできちんと真似をするのだった。
 ぼくはそれに味をしめ、映像を次々と見せてはどんどん形を教えていった。
 水丸はウサギになりヒョウになり、ウシになりラクダになった。
 満月の夜。小さなイルカになった水丸を、プールで泳がせたこともある。ぼくが口笛を吹くと勢いよく宙へと飛びだして、美しいジャンプを披露する。水しぶきがきらめきながら飛散する様子は、とても幻想的だった。
 そのうち水丸は、すっかりぼくと同じくらいの大きさにまで成長した。どうやら知らないあいだに友達までできたようで、なんだか本当の親にでもなったかのような気持ちで感慨にふけった。
その頃になると、どこで覚えたのか、水丸は新しい姿――精悍な若者の姿に変化するようになっていた。
夏になり、暑さがつづくと、蝉時雨を浴びながら人の姿で出かけていく。
「水丸、気をつけてな」
 ぼくは、それを玄関先でいつも見送る。水丸は、友達と一緒に青竹を肩に担ぎ、水を張った盥を下げて威勢のいい声をあげている。
「水の子どもは、いかがですかぁ」
 彼は人の姿でみんなのもとに夏を分けに行く。お気に入りの一升瓶をぶら下げて。